5月11日(金)
鹿児島といったら豚骨ラーメン。
写真は鹿児島中央駅。
駅前のオリックスレンタカーの方からおすすめのラーメン屋を聞いて出発。煮卵のサービス券も頂きました。
漬け物が置いてあり、 それをつまみながらラーメンを待つのが鹿児島スタイル。おかわり自由。
豚とろラーメン ¥750
ラーメンを注文する時に、 『こってりorあっさり、うす味orこい味、やわ麺orかた麺』 といろいろ選べれる。
美味しく頂きました。
5月11日(金)
江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる102の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に麓と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を結集させることなく分散して統治にあたらせました。知覧もその一つです。「知覧麓の武家屋敷群は、薩摩の麓の典型的な作例の一つで、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と生垣からなる景観にも優れ、我が国にとってその価値は高い。」として、昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されいます。また、同時に地区内の7つの庭園が「優れた意匠で構成されており、その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、庭園文化の伝播を知る上でも貴重な存在である。」として国の名勝に指定されました。指定された7つの庭園の中で森重堅邸庭園のみが池泉式で、ほかは全て枯山水式となっていて、今に残る枯山水の伝統美と時代の息吹を感じさせてくれます。
5月11日(金)
知覧特攻平和会館(ちらんとっこうへいわかいかん)は、鹿児島県南九州市知覧町郡(旧川辺郡知覧町)にある、第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示する施設。
写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されている。その展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。なお館内の展示品は全て撮影禁止となっている。
大東亜戦争(GHQ呼称太平洋戦争)直前の1941年(昭和16年)12月、知覧町に陸軍の飛行場が完成。飛行場は直ちに太刀洗陸軍飛行学校の分教所となり、戦争に突入した翌1942年(昭和17年)1月、最初の入校者78人が知覧に到着した。当初こそ九州島内や朝鮮(現・韓国)の各地に設けられた分校と同じく少飛や特幹の教育・訓練を行うことが目的とされていたが、1944年(昭和19年)夏以降、陸軍航空隊の戦術が艦船への体当たりを柱とする特攻を主軸とするものに転換。この過程で近い将来の本土決戦(決号作戦)に備えた航空関連軍学校の軍隊組織化が進められた。
陸軍飛行学校が教導飛行師団と改められるのに合わせ、 1945年(昭和20年)2月、太刀洗飛行学校は第51航空師団と改称。知覧分校は上部組織の第6航空軍に隷属する「第7飛行団」となる。こうして知覧特攻基地(ちらんとっこうきち)が誕生。振武隊(しんぶたい)と名付けられた特攻隊が出撃することになった。1945年3月20日付で、参謀本部から『「と」号部隊』と呼ばれる陸軍特攻隊の編成が発令される。同時に陸軍第6航空軍は連合艦隊の指揮下に入り、振武隊は海軍側の特攻隊として既に動き出していた神風特攻隊と共同歩調を取ることになる。そして沖縄戦始まった4月1日、第二十振武隊を皮切りに知覧からの特攻出撃が始まった。以後は海軍の鹿屋航空基地とともに特攻出撃の最前線となり、戦艦大和の最期となった坊ノ岬沖海戦で一度の戦いでは最大級となる陸海軍合わせて300機もの出撃の一翼を担うことになる。
一方で、米軍は特攻機の出鼻を挫くため飛行場をB-29の機動部隊で空襲する戦術を導入。知覧飛行場も攻撃対象となり、多くの特攻機が出撃前に失われた。陸軍第6航空軍は5月28日の菊水八号作戦を最後に連合艦隊隷属を外れたが、その後も沖縄戦線への特攻は行われた。大規模なものは6月22日の菊水十号作戦まで続き、6月25日、沖縄での組織的戦闘が終了(沖縄敗戦)するという大本営発表で知覧もその役目を終えるかに見えた。しかし、米軍の日本本土上陸はもはや間近に迫っており、知覧飛行場は帝国陸軍の本土防衛の最前線となっていた。出撃は8月15日の終戦まで、散発的に続いていった。陸軍関連の総出撃者1,036人のうち、全体の4割ほどにあたる439人が知覧から出撃したと会館では記録している。が、資料によっては変動も見られる。なお知覧から出撃したのは基本的には陸軍の部隊であることに注目する必要がある。実際に、出撃した航空機数や戦死兵の数は海軍の鹿屋基地の方が多く、知覧の2倍前後もの数となっている。ただし、陸軍の兵士であっても鹿屋から出撃したり、逆に海軍の兵士が知覧から出撃するといったイレギュラーケースもあった。また振武隊自体が神風特攻隊と混同されることも多いが、戦史の上では厳密に区別される。知覧から出撃した航空機は九七戦が最も多く、ついで一式戦闘機という順になっている。
5月11日(金)
長崎鼻(ながさきばな)は、鹿児島県南部、薩摩半島の最南端にある岬である。鹿児島県指宿市(旧山川町)に位置する。指宿カルデラの外輪山の一角を成しており、一帯は火山岩にて形成されている。
「鼻」と付く地名は名の如く、岬の基部が末広がりになる三角形状の地形であることが多い。鼻と名の付く岬は全国の至る地方で見られるが(特に九州で多い)、その中で最も有名な岬である。長崎鼻からすぐ西方には、海越しに端整な山容で知られる開聞岳がそびえ、妨げる障害物は何もないため、岬から眺める山容は非常に美しい。また、晴天時だと岬の展望台から遠く屋久島の宮之浦岳や硫黄島を遠望する。このように非常に風光明媚な土地であることから古くから観光開発されており、岬の展望台から1~2kmの沿線に土産物屋や飲食店がびっしりと建ち並び、長崎鼻パーキングガーデンという観光施設が設けられている。また、この長崎鼻一帯にも浦島太郎伝説が伝わっており、竜宮神社が鎮座する。岬及び周辺の海岸線一帯が霧島錦江湾国立公園の一角を成している。また、近辺に国の特別天然記念物であるソテツ自生地がある。
5月10日(木)
指宿での滞在・・・料理はもちろんのこと、景色のよい部屋に泊まりたい!
そこで選んだのがこちらの『花の温泉ホテル吟松』
手前の駐車場に誘導され入館。
登山終わりの汚い恰好で申し訳ありません。
海の見えるロビーに案内されウエルカムドリンク。
花のホテルの名前通り、きれいな生花・・・おしぼりにもお花が添えてあり、うれしい心遣いです。
お茶かと思ったら「篤姫茶ぶし」なるもの・・・?
味噌汁?ですね。美味しかったです。
客室は、6F露天風呂付きです。
寝室 和室 まどろみ間・・・広々ゆったりです。
寝室には桜島の絵が飾られています。
仲居さんは今年の新入社員らしく、女将さんがつきっきりでした。
疲れた体を休めるのに砂蒸し風呂を勧められたので早速、向かいました。
歩いて2~3分程度のところにあります。
係のおじさんはとても愛嬌があり、写真撮影もお手の物。
熱い砂をかけると10分位で全身に汗が吹き出しさわやかな気分になります。好みによリ砂の深さで温度を調節します。
300年もの昔から人々に語り継がれてきたその効果が、ここにきて医学的に実証されました。鹿児島大学医学部田中信行教授らの血圧や心拍数、心電図、血糖、呼吸機能など11項目に及ぶ調査結果によると、心拍出量の増加や深部体温の上昇など(図参照)数々の有効性が判明。血液の循環促進による老廃物の排出や炎症性・発痛性物質の洗い出し、十分な酸素栄養の供給がその効果の源としたうえで、砂むし温泉の効果は“普通温泉の3〜4倍”と結論づけています・・・確かに!足首の血管から血液がどくどく流れるのを感じました。すごい!!
与謝野寛、晶子の句もありました。
すっきりしました。涼んでます。
ホテルに戻って 砂蒸し料理
記念のスパークリングワイン「天使のアスティ」
イタリアNo.1アスティVINITALと金賞受賞の実力派!マスカットの華やかな香りと爽やかな風味の甘口スパークリング!天使のアスティが快挙! ジャパン・ワイン・チャレンジ 2007 金賞受賞!!! 可愛いだけじゃない!中味も美味しい甘口スパークリング! マスカットの華やかな香りと爽やかな風味を持つ甘口の発泡酒です。優しい味わいで、女性を中心に世界的に人気があります。天使は、神の使者として多くの幸せを届けてくれます。
食事処に腕を組んで来ると ドリンクが一杯無料になるってサービス
もちろん やりました! 指宿温泉サイダーGET
前菜
ゴーヤと黒豚味噌
造り 地魚盛合せ(桜鯛、カンパチ、マグロ、きびなご)
桜鯛も 肉厚で柔らかく、甘い
さつま揚げ 目の前で揚げていただいて熱々です。
竹癇が気になったので注文してみました。焼酎か日本酒で迷いましたが、
純米酒 薩州正宗 を頂きました。
日本で唯一日本酒を造っていない県(正しくはいなかった県)は、焼酎王国の鹿児島県、意外ですが沖縄県では日本酒が造られています。40年前に日本酒を造っていた蔵が閉鎖されて以来、日本酒製造は行われていなかったとのこと。当時、南国鹿児島では温度管理が難しく、温度で品質が左右される日本酒を安定的に造るのが難しい環境であった事が大きく起因しています。
焼酎酒蔵が40年ぶりに日本酒製造を始めた・・・それがこの薩州正宗です。
鹿児島県いちき串木野市にある焼酎酒蔵「濱田酒造・薩摩金山蔵」
黒豚の角煮
ココナッツミルク鍋
お宿(好き)に丼
面白いネーミングの丼です。具材を自分好みにお好きにどうぞ、という意味だそうです。
こんな感じになりました。
記念に頂いたパフェ
デザートの抹茶プリン撮り忘れました。
なんと記念撮影まで・・・太ってる?むくんでる?
5月12日
鹿児島旅行も最終日を迎えました。天気が崩れえるということでちょっと心配です。
部屋の露天風呂からの眺め
ホテル前の浜辺ではモーニングコーヒーの無料サービス
まだ準備中でしたがいろいろなお話を聞くことができて楽しかったです。
屋久島でもそうでしたが、鹿児島の人達も出会う人すべてが笑顔で良かったです。
吟松を海岸側から撮影。
私たちは右側の後から増設した建物の6階に泊まりました。
砂浜を歩くと・・・
ホテル吟松
カフェの従業員のおじさんに撮影していただきました。
アイスコーヒーご馳走様でした。
ホテルの内装・・・地元の焼き物や絵画など飾られていました。
昨日は入れなかった屋上の露天風呂。
他にお客がいないので撮影させていただきました。
素晴らしい景色。貸切状態なので、ゆったり入れました。
朝食
かまぼこ、こんぶ、ひじき、かつおフレーク
もずく酢
湯豆腐
さつま汁
ベーコン焼
たくさんの朝食、美味しく頂きました。
御馳走様でした。
5月11日(木)
射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)は、鹿児島県南九州市頴娃町に鎮座する神社である。旧社格は無格社。別名の「釜蓋神社」(かまふたじんじゃ)、「釜蓋大明神」で有名である。
窯蓋を頭上に載せて参拝する「釜蓋願掛け」や、素焼きの釜蓋を投げる「釜蓋投げ」で知られる。「釜蓋願掛け」は、鳥居から賽銭箱までの約10mの間を、頭上に乗せた釜蓋を落とさずに歩くことができれば厄よけになるというものである。勝負事に強い神社として評判が広まり、沢穂希らが祈願に訪れたり、中村俊輔がお守りを身につけたことでパワースポットとして有名になった。戦前には、釜蓋を持ったり鍋を被ったりして祈願すると、戦場で砲弾に当たらず無事に帰還できるとされ、多くの出兵者やその家族が参拝に訪れた。
伝承では、頴娃に住む臣下を訪れた天智天皇の接待のために米を蒸していると、突如起こった突風で釜蓋が遠く離れた当地まで吹き飛び、地元の人々がそれを祀ったのが始まりであるとされる。開聞地方には天智天皇とその后の大宮姫が滞在していたという伝説があり、この伝承もそれを踏まえたものである。
実際の創建年代は不詳だが、文政期(1818年 - 1830年)を遡ること800年前に創建されたといわれる。島津光久が薩摩藩第2代藩主であった寛文7年(1667年)の『頴娃郷神仏誌』には、この神社の修補のことが記されている。享保元年8月15日(1716年9月30日)に炎上したが、翌享保2年11月25日(1717年12月27日)には再建が成っており、再建時の棟札には「開聞宮末社釜蓋大明神」と記されている。天保14年6月(1843年7月ごろ)には、第10代藩主島津斉興が国家鎮護・武運長久の祈願を行っている
釜蓋を頭の上に載せて賽銭箱まで行けると願いがかなう・・・というので、広美は3回目の挑戦で見事成功!
私はあ頭の形が悪いのか、ぜんぜん前に進めませんでした。
2人用の大きな蓋もありました。
5月11日(木)
レンタカー屋のおじさんに勧められたのでやってきました。
〒891-0603 指宿市開聞十町5967 年中無休
年間、約20万人もの方々が訪れる開聞仙田の唐船峡。真夏でも涼しい中、平成の名水百選に認定された冷水で冷やしたそうめんが味わえます。そうめん、おにぎり、マスの塩焼き、鯉こく、鯉のあらいがセットのA定食が一番人気です。
営業開始時間は10:00からです。
平成29年度のラストオーダー時間は次の通りです。
4/1~4/28 17:00
4/29~5/7 19:00
5/8~7/14 17:00
7/15~8/31 20:00
9/1~9/24 19:00
9/25~10/31 17:00
11/1~12/28 15:00
12/29~1/3 17:00
1/4~3/16 15:00
3/17~3/31 17:00
※ラストオーダーから1時間後が営業終了時間となります。
※天候等によっては変更がありますので、ご了承ください。
回転式そうめん流し発祥の地で、いまでは全国から年間約20万人の利用客が訪れています。昭和37年、川上の湧水を利用し、竹樋で作ったそうめん流しがスタート。昭和45年には回転式そうめん流し器の意匠登録をし、全国第1号のそうめん流し発祥の地となりました。平成8年3月国土庁(現在の国土交通省)の「水の郷百選」に選ばれた、清涼で豊富な湧き水を利用して、年間を通じてそうめん流しが楽しめます。木の香りと水の音に包まれながらのお食事は、心の中まで満たしてくれます。
美味しい夕食が待っているので、そうめんだけ食べます。
5月11日(木)
屋久島とも最後のお別れ。
朝起きると、おにぎりの朝食が用意されていました。とっても美味しいおにぎり。
鹿児島へは高速艇トッピーで向かいます。
安房港 7:00
鹿児島へ向けて出発。朝一番の高速船は種子島経由なので、若干時間がかかります。
ロケット3号
種子島を経由して鹿児島南埠頭に9:30に到着予定でしたが、少し遅れたようです。
9:45鹿児島南埠頭
鹿児島南埠頭からレンタカーの移動となります。
開聞岳へ向けて出発
開聞岳(かいもんだけ)は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置する標高924mの火山。1964年(昭和39年)3月16日に、霧島屋久国立公園に指定された 。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名「薩摩富士」とも呼ばれる。所在地は鹿児島県指宿市。
【コース】ふれあい公園<12:05>---開聞岳<13:45>---ふれあい公園<15:20>
トータル行動時間 3時間15分
12:05<0分>かいもん公園
ブラシノキ(学名:Callistemon speciosus)は、フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。別名、カリステモン(本来は属名のラテン名である)、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)。 学名のカリステモンはギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味
オーストラリア原産で、観賞用に栽培される。5-6月頃に開花し、花弁は緑で小さくて目立たないが、赤(ときに白)の長い花糸が目立つ。穂状花序をなし、花序全体がブラシのように見える。花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴を持つ。
果実は朔果で、見た目には枝全体を取り巻く昆虫の卵のように見える(前記の特徴から、2,3年前の果実が順に枝に付く)。果実には粉状の種子が入っており、オーストラリアでよく起こる森林火災が起こると割れて種子を放出する。
ブラシノキ属には計34種があり、そのうちの数種が観賞用に栽培されている。
2合目
12:45<40分>5合目
5合目にはベンチが置いてあり見晴台となっています。涼しい風が心地よい。
約4,400年前頃から活動を開始し、885年までの約3,000年間にVEI4の噴火が9回、0.1 DRE km3を超える噴火が10回発生しており、この期間の平均マグマ噴出率は約1.2 km3/千年となっている。有史以降の噴火記録は6世紀ごろからあり、貞観16年3月4日(ユリウス暦874年3月25日)と仁和元年(885年)7月・8月に大噴火を起こした。この時、山頂に溶岩円頂丘が噴出し、現在の二段式の山容となった。山体は主に粘性の少ない玄武岩だが山頂付近の溶岩ドームは安山岩で出来ている。
開聞岳南麓の海底には幅7.8km、長さ9.3kmに及ぶ馬蹄形の海底崖と、海底地すべりに伴う多数の流れ山が存在している。この海底崖は開聞岳山体の南部地下にも見られ,現在の開聞岳ができる前に海底地すべりが発生したものと考えられる。
7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。橋牟礼川遺跡は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である。
2000年(平成12年)12月12日から下旬にかけて、噴気が観測された。
13:45<1時間40分>開聞岳山頂
地元の方に記念写真を撮っていただきました。
地元の方に頂いた漬物 ゴーヤと梅を氷砂糖で漬けたそうです。さっぱり頂けます。
中身はリンゴでなくイチゴ?ジャム
素晴らしい景色に疲れも吹き飛ぶ
15:20<3時間20分>かいもん公園
屋久島最終日。早起きして朝日を見に行きました。
宿の近くの安房港
安房港
安房港近くのスーパー 「エコタウン あわほ」
海岸へ移動して散策
屋久島の海岸近くで、大きな声で美しく囀っているのがこの鳥だ。
せっせとフナムシを取っている姿を年中見かける。
雄は背中が、渋めながらも金属光沢のある青い色をしており、日当たりの良い所で見ると美しい。
きれいな朝日
亀の手
夢中に何かを探す広美
ハイビスカス
今日はこのレンタカーで島めぐりです。
無人市場
屋久杉安い?
蝙蘭
広美が欲しがっていました。
屋久島草思園
おじさんが優しく説明してくださいました。
千尋滝にやってきました。
駐車場にある直売店。
千尋滝
象の皮膚のような岩肌
すごい迫力でした
展望台より太平洋を望む
秘境温泉 平内海中温泉
屋久島の温泉といったらここというほど有名な「平内海中温泉」
すぐ近くには民宿もあり、少し走れば他の温泉にも近い。
満潮時には水面下へ沈んでしまうため干潮時の前後2時間位しか入浴できない。
天候や干潮予定時間を確認してから向かった方が良い。
入浴していたおじさんにお聞きしたところ、昔湯治をするために掘ったという人口の野湯だとか。
駐車場は小さく、2台ぐらいが限度。
私たちは道を降りる手前へ車を置いて歩いて降りてきた。
温泉の前には寸志箱があり、「水着禁止」の立て札もある。
この日は快晴。海へいるだけでも気持ちがいい。
協力金 ¥100
湯はまろやかで海に面しているというのに塩分のないお湯。この時間ではぬるめだったが段々と熱くなり、通常は熱めの温泉らしい。
湯はかすかに硫黄の香りがし、やさしい湯。
昔は湯治場だったかもしれないけれども、今では観光客がひっきりなしに訪れ、せわしなく恥ずかしい温泉。
水着着用不可の為、女性はゆ着がない人にはとてもじゃないけど入れないような雰囲気だ。
泉質硫黄泉(低張性、アルカリ性、高温泉)
源泉温度46.4度
源泉名平内海中温泉
じゃ~ん 入浴しちゃいました。
先行者3名のおじさんが居ましたが、気を使っていただき入浴できました。
最高~!!
先行者は広島からヨットで来たそうで・・・楽しくお話しできました。
はあと無人市
屋久島の道路を走っているとこのような無人販売所がたくさん見られます。
¥100で購入したビワ・・・最高に美味しかった。
屋久島町 旭牧場子牛育成センター
食用の黒毛和牛を育てている牧場です。みんな食べられると思うと・・景色は最高でした。
ペピーノ 1個¥100
試食させてもらいましたが、イマイチかな?
見学(有料)もできるよ?と聞かれましたが、何も買わずに帰りました。
中間カジュマル
中間集落のほぼ中心にある巨大なアーチ状のガジュマル。木の下には湧水が湧く。
ガジュマルは、熱帯性のイチジクの仲間で、幹から無数の気根(空気中の根)をたらし、幹と根に区別が見分けられないほどです。わが国では、屋久島が分布の北限です。
お食事処 つわの花
ちょうどお昼時だったので持ち帰り弁当を注文して、弁当ができるまで近くを散策。
ハイビスカスと蝶
カジュマル
近くの砂浜へ徒歩にて移動。
とびうおハンバーグ弁当 ¥500
これがGOOD!民宿では御魚ざんまいだったので、このお弁当はほっとしました。群馬育ちですから、やっぱり野菜が沢山ほしいです。
亀の手の味噌汁・・・屋久島の麦みそかな?亀の手も味噌汁で食べたほうが一番おいしかったです。
海水に浸かる。
綺麗な海岸です。
またまた出会った、イソヒヨドリ
流木を拾いました。こんなものも町では売り物になってます。
何虫?
屋久島で里から山の中腹あたりまで、最も普通に見られる森林性の鳥の一つ。
ヤクシマヤマガラと亜種名で呼ばれることもある。
屋久島ではカラ類は、このヤマガラとヒガラしか分布していないが、どちらかというとヒガラは山の高い所でしか見られない。
5月9日
宮之浦岳縦走を大雨の為、1日早く切り上げため、16:00頃に安房のバス停に到着してから今晩の宿を探すことになりました。文房具屋の民宿に一部屋空いているので泊めてもらえることになりましたが、明日、鶴屋に泊まる旨をお話したら、鶴屋で急きょキャンセルがでたということで主人が迎えに来てくれました。
6畳の和室。
晩御飯です。
サバ節と島らっきょうの和え物
黒豚のしゃぶしゃぶ
お造り(首おれサバ、カンパチ、)
兜焼
しゃぶしゃぶ
鯖の吸い物
1日目の朝食 屋久とろ しらすの和え物 鯖みそ のり 納豆 卵
2日目の夕食
お造り(首おれサバの炙り、)
旭蟹
トビウオの姿揚げ さつま揚げ
ヤクシカのつみれ鍋
亀の手
2日目の朝食