平ヶ岳(その2)

鷹ノ巣登山口には前日から車中泊し、早朝4:30にヘッテンを点けてスタート。下台倉山までの長い登りも難なく通過。姫池で綺麗な湿原と初対面でしたが、真っ白い靄がかかってしまいイマイチの展望。気を取り直して平ケ岳山頂を目指す。山頂に到着するも・・・


8:18<229分>平ケ岳山頂
【平ケ岳】プロフィール
深田久弥は『日本百名山』に「至仏山から、武尊からこの平らな頂上を眺めて、何時かはその頂上に立ちたいと願っていた。しかしそれはあまりに遠すぎた。」と書いている。平ヶ岳には長い間登山道は無かったが、昭和40年8月に当時の湯之谷村が、銀山平の奥の鷹ノ巣から、台倉尾根の登山道を伐開したので、登山者から知られるようになった。アプローチが便利になった今でも、登山口の通路は1年のうち7ヶ月雪で閉ざされている。(上毛新聞社 ぐんま100名山より)


展望はこんな感じ・・・小休憩するもしばらく晴れそうに無いのでたまご石へ向かうことにする。


新潟県からいらした百名山ハンターの方としばらく話し込む。
奏功してるうちに、たまご石の方角は晴れてきました。


8:59<270分>分岐
たまご石へ


落葉松草(カラマツソウ)
カラマツソウ(落葉松草、唐松草) はキンポウゲ科カラマツソウ属の宿根草。北海道から本州の山地〜高山帯の草地に自生する高山植物。日本固有種である。花がカラマツの葉の付き方に似ているのでこの名前が付いた。
高さは50-150cm。葉は根本から出て、二回ないし三回羽状複葉。小葉は長さ2-3cmで楕円形。花期は6-8月、根本から高く伸び上がる花茎を出し、その先に複散房花序の形で直径1cmほどの白色の花を多数つける。花弁はなく、白い花は雄しべの集まりである。


白山風露(ハクサンフウロ
フウロソウ科フウロソウ属の多年草高山植物の一つ。
東北地方〜中部地方伊吹山まで)に分布。高山の雪渓周辺の草地に生える。高さは50cm程度。花期は7〜8月。花色は紅紫色。花弁は5枚。
母種はエゾフウロ蝦夷風露、学名:Geranium yesoemse)


小さな沢がありました。


9:01<272分>水場


天気も晴れて、黄緑色の絶景が広がります。テンションも上ってきました。


たまご石へ・・・この分岐点にテン場があり、4張りくらい設営できるようになっています。
水場も近いのでテントを張るならここが良いでしょう。


綺麗な平ケ岳が見えます。


池塘の水面がキレイ。奥には越後の山々が見えています。


大白檜曽(オオシラビソ)
オシラビソ(大白檜曽、学名:Abies mariesii)は、マツ科モミ属の常緑針葉樹で、日本の特産種である。別名はアオモリトドマツ、ホソミノアオモリトドマツ。中部地方から東北地方の亜高山帯に分布する。分布の西端は白山、南端は南アルプスまたは富士山、北端は青森県八甲田山である。本州中部では海抜1,500-2,500m、東北では1,000m以下から分布する場所もある。シラビソに近い気候を好むため、本州中部の山岳地帯では、通常両者は混生しているが、比較すると太平洋側の比較的雪の少ない山岳にはシラビソが、日本海側の多雪地の山岳ではオオシラビソが優勢である。ハイマツを除く針葉樹の中では、もっとも多雪環境に適応した樹種とされる。東北地方の亜高山帯林には南部を除いてシラビソは分布しないため、オオシラビソが圧倒的に優勢である(それ以外はコメツガが東北北部にも分布する)。ただし、日本海側の山岳のいくつか(飯豊山地朝日山地出羽三山鳥海山など)では、あまりの多雪のためオオシラビソすらほとんど、あるいはまったく分布しない。ハイマツを除くと、オオシラビソより多雪環境に強い針葉樹はなく、そのため、これらの山では亜高山帯針葉樹林が欠落し、山地帯から偽高山帯を経て直接高山帯へと移行している。
シラビソと同様、最大で樹高40m、直径1mに達する大木となる可能性はあるが、山岳地帯の過酷な環境のため、ほとんどの場合はそれほどの樹高にならない。また、寿命も数十年程度と、樹木としては比較的短い場合が多い。枝からの葉ののび方がシラビソ及び他のモミ属樹種とかなり違い、上から見ると枝が葉に隠されて見えない(写真を参照)。球果はシラビソと同じかやや大型、色も似るが、先端が丸みを帯びる点が、やや尖っているシラビソの球果と区別できる。
モミ属の中での系統的に他の種と大きく外れており、日本はもとよりユーラシア大陸に近縁種はなく、太平洋を越えたカナダ南部と米国北部のアマビリスモミ Abies amabilis が唯一の近縁種とされる。
現在の日本の亜高山帯、特に多雪地の亜高山帯ではオオシラビソは優勢な樹種だが、最終氷期の化石資料はあまり多くない。特に現在はオオシラビソが圧倒的に優勢な東北地方の山岳では、オオシラビソの化石はまったく発見されていない。花粉分析などの結果からは、東北地方の山岳にオオシラビソが分布を広げたのは、吾妻山で約2500年前、八甲田山や八幡平では、わずか600年前のことと見られている。それ以前は、これらの山でも最終氷期の終了以降亜高山帯針葉樹林が欠落していたものと推定される。このことから、オオシラビソは寒冷環境に適応した樹木にもかかわらず、最終氷期の終了後の温暖期になってから山岳地帯で勢力を拡大したもので、最終氷期にはそれほど繁栄していなかったと考えられている。その理由はオオシラビソは寒冷気候とともに多雪環境にも強い樹種だが、最終氷期の日本は寒冷ではあっても現在より降雪量がずっと少なかったことと関係があると思われる。


9:16<287分>たまご石
たまご石とその土台の岩はひと続きの花崗岩でできている。この花崗岩の節理(割れ目)にそって風化が進み、節理に囲まれたかたまりのしんが残ったものが、たまご石です。偶然とはいえ、こんな形によくもなったものです。


平ヶ岳


気持ちいいな〜


景鶴山


9:32<303分>池ノ岳


池塘と平ケ岳
これが見たかった。見られて幸せです。