網走監獄博物館

9月7日(金)晴れ
北海道全域停電から2日目、1/3程度の復電がありました。斜里岳登山を終えて、網走の町までやってきました。セイコーマートの店員さんの話だともっと下のほう(港より)が電気がきているとのこと・・・だめもとで、最初の計画通りに「網走監獄博物館」へ行くことにしました。
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博物館網走監獄は、明治以来、網走市と深く関わりを持っていた網走刑務所旧建造物を保存公開する野外歴史博物館です。網走国定公園の景勝天都山網走湖側に位置し、敷地面積は約東京ドーム3.5個分に相当します。ユニバーサルミュージアムを指標に、日々施設充実を目標に地域に根ざした活動を進めています。
入館料 大人 ¥1080
無料のガイドツアーもあるのですが、時間指定があり、今回は断念しました。すると、近くでJTBツアーのガイドさんが何やらいろいろと説明しています。恐る恐る、同行しちゃいました。
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建物は木造平家建、中央見張所を中心に側面から後方に放射状に建つ五つの舎房からなり、間を渡り廊下で接続しているため五翼放射状房と呼ばれている。舎房外壁は下見板張で、屋根は桟瓦葺だったが、現在は鉄板葺となっている。
舎房は北から順に第一舎から第五舎とし桁行きは第1・3・5舎が58.2m第2・4舎72.7mである。 内部は中央を通る向かい房、第4舎80房と第5舎奥の20房を1.5坪の独居房とする以外は、各棟3坪の雑居房226房の構成である。厚さ7mmの明り取り窓が第1・3・5舎は2ケ所、第2・4舎は各3ケ所付いてる。
壁を破られないよう壁内の柱は雑居房で約30cm間隔、独居房は約21cm間隔で密に立てられている。
小屋組は下弦材を鉄筋でつないだクイーンポストトラスの小屋組、中央部分は逆Yの字の鉄筋の開き止めを露出させている。床は煉瓦敷の土間、房は板敷きで各房の隅に便所用の枠を設け、房内の壁は木摺漆喰塗りで房天井は厚さ15mmの板を張った鏡天井である。
通路と房を隔てる壁は中央を木製扉、両脇を竪格子、上部に鉄格子付きの窓が付いている。竪格子は平行四辺形断面もしくは「く」の字形断面の格子となっており、換気や暖房に配慮しつつ向かい房同士が見通せない工夫がなされている。木製の扉は片開きの框戸で上部に鉄格子付きの視察孔、下部に食器口を設け、大型の鉄錠がつけられている。房内の壁側は床から1.5mの高さに欄間付き引違ガラス窓で外に鉄格子がつけられている。
中央見張所は、中央八角形の哨舎を置き各舎房の渡り廊下を見通すようになっている。
脱獄囚が、脱獄の際に味噌汁でネジを錆びさせて脱獄したお話しなど興味深いお話が聞けました。

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受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしました。
札幌と網走を結ぶ中央道路の開削にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。1200人の囚人と200人の看守の凄まじいお話はビデオにて鑑賞しました。囚人以外に、看守たちも非常に苦労した様子が解りやすく説明されました。非常に勉強になりました。
別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60~90㎝位掘って割り板を縦に打ちこみ、部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレでした。それには、囲いはなく四六時中監視されていたのです。寝床は板張りで、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっており、夜具は薄い柏布団1枚でした。枕が、丸太棒なのです。朝になると看守は、この枕を叩いて、囚人たちを起こしたとか。「叩き起こす」の語源はここにあるようです
出入口も1か所で、逃亡を防ぐ作りになっています。あとにこれらの休泊所の様式が開拓時代の工事現場に取り入れられ、タコ部屋と呼ばれました。
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監獄食堂
麦飯(麦3:白米7)、焼き魚(さんま or ホッケ)、小皿、中皿、みそ汁。 現在の網走刑務所の昼食として出された食事メニューを再現したものです。本来は、みそ汁ではなく番茶が出されています。
意外と美味しいとの評判ですが、今回はパスしました。

JTBツアーのガイドさんのお話が非常に上手で、想像以上に勉強になりました。網走に訪れたら絶対にお勧めのスポットですね。