酸ケ湯温泉(すかゆおんせん)

9月30日

江戸時代前期の1684年(貞享元年)の開湯と伝承される。非常な山奥にもかかわらず、古くから湯治場として訪れる者が多かった。

 

大正時代、この温泉宿を経営していた郡場直世の妻・フミは、近辺の高山植物を採集して、その標本を各地の研究機関に寄贈した。彼女の功績によって早くから八甲田山の植生が研究されており、そのため酸ヶ湯温泉の付近に東北帝国大学の研究施設(東北帝国大学八甲田山植物実験所、現在の東北大学植物園八甲田分園)が作られた。また彼女の息子・郡場寛は植物学者である。

 

1954年(昭和29年)、四万温泉日光湯元温泉と共に国民保養温泉地第1号に指定されている。

 

一軒宿は前述の混浴の千人風呂が有名であるが、混浴マナーの低下から、女性客の苦情が多くなり、2004年(平成16年)6月には目印の辺りに間仕切りが設置された。しかし今度は間仕切りに対する苦情が増え、同年10月に撤去。その後、2005年(平成17年)4月に常連客が中心となって「混浴を守る会」が発足、三浦敬三が男性側の代表に、中村哲子が女性側の代表に就任した。一軒宿の中に看板を設置するなど、混浴マナーの維持活動が行われている。後に三浦の逝去に伴い男性代表は浅井慎平となった。

酸ヶ湯(すかゆ)は青森県青森市南部にある八甲田山系の火山起源の温泉。湯はその名の通り強い酸性を示し、pHは2.0を切る。元の温泉名は鹿湯(しかゆ)で、すかゆは読みの“しかゆ”が変化したもの

青森市周辺では、おでんをすりおろしたしょうが入りの味噌だれで食べるのが普通である。この食べ方が生まれたのは戦後の闇市の屋台で、当時、極寒の真冬に北海道・函館へわたる青函連絡船に乗るお客さんの体を少しでも温めようと、屋台のおかみさんがおでんにしょうが入り味噌をかけて出したのがはじまりという。もともと味噌文化が根付いていた青森ならではの味だ。また具にも特徴があり、陸奥湾名産のツブ貝や、根曲がりだけ(たけのこ)、薄くて大きなさつま揚げ「大角天」、通常より大ぶりな「ぼたん焼きちくわ」など、他では見られないものが入る。